2012年04月10日
高峯寺
推古天皇の御代(594年ごろ)、摂政につかれた聖徳太子が、仏教を広めるために、近畿地方各地をまわられたことがあります。
その時多羅尾にもこられ、しばらく、この地に滞在され、その時、従湯山高峯寺という立派な寺を建てられ、仏教を広められたといわれています。
その後、平安朝の初めに放火があり、焼失してしまいました。(そのお話はまた後日・・・)
そのお寺の跡地であろうと思われる場所に連れて行っていただきました。

結構な山道を歩くこと、20分・・・ 石がいくつか並んでおいてあり、端がそろって残っているものもあり
これが1400年余り昔のかもしれないのか・・・と感慨深いものがありました
道の整備もぜんぜんなので、道を知らないと行くことができないと思いますが、
いつか、ここも多羅尾の史跡になるといいなあ・・・と思います
その時多羅尾にもこられ、しばらく、この地に滞在され、その時、従湯山高峯寺という立派な寺を建てられ、仏教を広められたといわれています。
その後、平安朝の初めに放火があり、焼失してしまいました。(そのお話はまた後日・・・)
そのお寺の跡地であろうと思われる場所に連れて行っていただきました。


結構な山道を歩くこと、20分・・・ 石がいくつか並んでおいてあり、端がそろって残っているものもあり
これが1400年余り昔のかもしれないのか・・・と感慨深いものがありました

道の整備もぜんぜんなので、道を知らないと行くことができないと思いますが、
いつか、ここも多羅尾の史跡になるといいなあ・・・と思います
